情報が何でも手に入る時代になり、私たちの世代はさまざまな矛盾に直面している。子供たちに何かを質問するとかなりよく知っている。中には少し専門的な用語も出てくるので相当な博識なのかと思ってしまう。さすがに現代の子どもは違うと感心する。しかし、この思いは簡単に覆されることが多い。
同じ子どもに同じ分野の別の質問をすると答えられないということがある。それもどちらかといえばだれもが知っている初級レベルの内容と思われることにおいてもその傾向がある。また、先に感心した専門的な話題を別の要素と組み合わせて尋ねると何のことを言っているのか分からないといった反応になる。ここに違和感を覚えてしまうのだ。
おそらく今の子どもは情報を点として覚え、その数を多めに持っている。だが、その点はほかの点と結びつけられることは少なく、孤立した知識になっているのだ。これはコンピュータで検索した結果をクリップしている状態と同じだ。物知りだが物は知らないという逆説が見られる。
そこでいま何が足りないのかと考えれば、情報を点ではなく線で、そして面でとらえることの大切さなのだろう。それには読書することや講演を聞くことで一つ知識や情報の背景にあるものを知ることが肝要と言える。読書もそのままにすると、点としての知識吸収になりやすいので、音読の形で自然な人間の認知の手順を再現した方がいいと考えられる。そして、考えたことを手書きでまとめる。音声化と言語化というごく当たり前の活動が人間の脳には欠かせない。これを飛ばすと偽物知りが生まれることになるのではないか。