他人にとっての自分

 自分のことを理解してくれる人がいると信じていたのに裏切られるということはいくらでもある。歳を重ねるほどそれが当たり前となり、受け入れることもできるようになっていくが、かつてはそれは無理だった。

 自分が特別な存在であり、かけがえのないものであることは誰にとっても同様だ。いまではそんなふうに考えることはできる。あるいはそういう考え方をとることで心理的な難局を乗り越えられる。でも、かつてはどうだったろうか。自分だけが不当に扱われているとか、いつもの不運だとか考えていたことを覚えている。

 自分は他人にとっては他人であり、その他人から見た自分がどのように見えているのかは分からない。自身が考えている自画像と一致していないことも多い。それが乖離していると不幸だと感じやすくなるのかもしれない。

 やらなくてはならないことがいくつかある。まずは自画像の描き直しだ。というより、勝手に描いた輪郭線を引き直し過去にこだわらないことだろう。また、その絵がどう見られようと気にし過ぎないことだ。それぞれの作品には素晴らしい味わいがあり、疵もある。それは他人も同じだ。

 人間が集団で生きていく以上、他者との関わりは避けられない。自分の存在と他者との関係をどのように調和させるのか。若い人にはこのことを伝えていきたい。

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