現代の人々の気質として即時性の偏重がある。すぐに結果が出なければやる気にならないということだ。答えが出ないものは無価値とさえ考える。いろいろなことが即座に実行できるようになったために、結果を求めすぎる。
私のような世代にとっては、すぐに結果が出るようなことはレベルの低いことだった。本質的なことはなかなか形にならないものであり、具現化するために様々な努力をすることこそ人生の要諦と考えた。
だが今は違う。結論が出ないものは価値が低いと考えられがちだ。超高速のコンピューターに途中の計算をさせ、結論を急ぐ。結論の出ない問いはそもそも発問が間違っていると考える。考えてみればとても窮屈な思考回路だ。
このような性急な環境では状況対応型の考え方しかできない。何が真実かとか、善悪の判断とかそういうものは後回しになりやすい。貧困な思想しかできない。
恐らく私のような時代遅れの人間に出番があるとすれば、日々の判断にあくせくせず、少し引いて考えることを提案する役になることだろう。失笑や嘲笑をものともせず、真実を探る尊さを示すしかない。
そうすればわずかに数人が気づくかもしれない。答えがあることばかりが良いのではない。むしろ容易には解答が見つからないことの方が価値が高いこともあるのだと。