小説のなかの「私」は自分のことではない。少なくとも読者はそのように考える。自分のことを「私」と語る架空の人物である。それを作者が創作し、読者はその創作の文脈に乗っ取って読む。
随筆になると「私」は筆者のことではないかと考えられる。たとえそれが真実ではなくても、文章の中ではそれは紛れもない筆者の体験の記録だと考えるのだ。読者の読み方がそのようになる。
ただ割り切れないこともある。随筆の中にも限りなく小説に近いものもあり、明らかに真実とは異なると直感できるものもある。こうなると随筆の「私」は筆者とは言い切れない。ただ、この筆者の経験が言動といった可視のものに限らないとすればどうだろう。例えば筆者が頭の中で考えたこと、妄想したことなども筆者の体験ともいえる。ならばそれを記したものは立派な随筆ではないか。
でも、そう考えると小説にも当てはまる。小説の中にも自分の経験を素材して書かれたものはいくらでもある。ならばそれは随筆ではないか。でも随筆という分類でその作品を読み直すと明らかに違和感がある。おそらく、創作性というものが切り落とされるような気がするからだろう。
作品の中で自分を描くのは実は結構難しい。ありのままの自分を描くことはできない。そこにはどうしても幾分かの物語化が起きるし、そもそも自分のことを自分が客観的に描くこと自体が難しい。日記やこのようなブログもそうだ。毎日書いているブログも自分のことを書ききったと実感することはほとんどない。自分を描くことは難しい。