あえて日本らしさで

 人口減少が著しい日本は、経済政策の失敗もあって縮小傾向から逃れられない。でも、それはいわば長期的な展望であり、短期的もしくは中期的な方策でいくらでも変わりうる。そのことを考えなくてはならない。

Photo by Dick Hoskins on Pexels.com

 ひところガラパゴス化ということばがはやった。従来型の携帯電話をガラケーなどといったが、今考えるとかなり優秀な機械であった。あれだけの筐体にインターネット機能やそのほかいろいろなものが詰め込まれ、なおかつバッテリーの持ちがよかったではないか。そのまま発展していれば、現在のアメリカ型のハイスペック志向の発展とは違ったものがあった可能性がある。

 ガラパゴス化という言い方は国際的な動向と反するものに対して称されたものだが、いいかえれば独自性であった。独自性は国際的な基準に合わないため国際競争では不利になると言われる。たしかにその面はあるが、見方を変えればほかのどこにもない方法を維持することには意味があったのではないかということになる。

 技術的な話にすれば数日前に考えたように電気自動車の開発技術の問題がある。国際的なトレンドは電気自動車に流れているが、日本では電気で走ることにはそれほどのメリットはない。むしろ全面停止の危険性を秘めている。ならば、日本的なハイブリッド形式とか、水素由来のエネルギー開発とか、再生可能エネルギーの開発だとかをやめるべきではない。資源のない島国なりの生き残り方を考えるべきなのだ。

 文化的な戦略もそうだ。アニメの文化は日本のものだとよく言われるが、作画技術でいうならばCGを使った海外作品の方が優れているかもしれない。日本作品の細部へのこだわり、メッセージ性などのユニークさが評価の源であることを考えて発信するべきだ。音楽も海外には通用しないと思い込んでいるが、日本のポップスは様々な国や地域の音楽の要素を複合して独自なものになっているという。これもセールスポイントと考えるべきなのだろう。伝統文化といわれているものも、見せ方を工夫すればもっと高い評価が得られるはずだ。

 国際標準で競うことだけが正しいのではない。独自性を維持することも大事な方法であることを確認しておきたい。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください