不注意

 注意書きがあるのを読まなかったのかと叱責されたことは少なからずある。後から考えるとなぜこんなに大きく書いてあったのに気づかなかったのかと思う。これはなぜなのだろう。

 おそらく、もっともだめな反省法は自分の気が緩んでいたからという考え方なのだろう。精神論に持ち込むともう何も言えない。これは人に助言するときも同じだ。できないのはお前のせいだと言っているのと同じだ。存在を否定する人は自分自身もそのまま否定される可能性が高い。

 ならば、どうすればいいのか。まずは認知の手順を考えるべきだろう。私たちは何かをするときに過去の経験をもとにする。だから、新しい手順が加わると緊張し、混乱する。その方法を確認すればいい。確認の手順をルーティンとして捉えるべきだ。

 目の前に見えていても気づかないことがあるということを前提にして、確認の作法を型として意識して繰り返すのがいいのだろう。

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