まとめる、まるめる

 ものを考えるとき、私は過去の経験から既に獲得しているものの捉え方に当てはめている。これは認知上の基層にあるもので多くの人に共通するはずだ。ただ私の場合はその拘束力がそれほど強くなく、しばしばいきあたりばったりになる。

 いざというときにうろたえることがないように、行動の作法、もしくは型のようなものがあるのだろう。迷いをなくすという点においてこれは大いに意味がある。

 たが、千変万化の事象に対して限られた型に当てはめることには無理があるのは確かだ。詳細をいわばまるめて目につきにくくしている訳だ。厄介なのはまるめられた部分が実は全体の印象に深く関わっている場合、大切なことを見落としてしまうことだろう。

 まとめることは大切で、それがなければ理解できない。理解できなくては何も始まらない。ただ何でも理解しようと大切な部分までまるめてしまうと本質を見失う。

 ときにまとめず、まるめないものの捉え方をする必要を感じる。そのためには何気ない自然の風景をながめたり、抽象的な芸術作品を見たりするのも意味があるのだろう。

 まとめる、まるめる力が知の源泉であるのと同じ意味で、まとめない時間を確保することが大切なのだ。

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