
漠然と考えていることを文字にしてみる。今日は(も)自分のための記事になる。
古典文学を教えるとき、なぜ教える方は面白いと考えるのに習う方はつまらないと思うのだろうか。その一つの原因は作品の背景に関する知識の差にある。知識というと古典常識なるまた学習者を小馬鹿にしたような言い方が思い浮かぶ。常識と言い張る人ほど非常識なものだ。言いたいのは作品からイメージできる情報、情趣の差だ。これは古文を味わう上で大きく影響する。
古典を読む際に単なる暗号解読にならないようにしなくてはならない。作品をわがこととして読めるように考えるべきだ。それには演劇的な手法も有効だ。推量の助動詞の使い分けをどれだけ実感を伴って行えるのか。それは古語を使って役を演じる中で獲得できる可能性がある。
私はショートコントで古典を指導する方法を模索したい。できてきたらご紹介していこう。
