
龍膽寺雄という作家のエッセイを読んだ。シャボテン(サボテンのことをこの作家はこういう)の愛好家で自分でもマニアだという。偏狂家ということである。ただこの偏狂も突き抜ければ芸術となることが分かった。
戦中を生きた彼は焼夷弾攻撃を受けてもシャボテンへの愛情を失うことなく、焦土と化した街にでかけ、シャボテンを買い求めに行った話などもあった。劣悪な環境に耐えて生きるこの植物に、心情的な魅力を感じているようであった。その奇妙な形態がいいとか、稀に咲く美しい花がいいとかいう次元を超えているようなのだ。
この人に限らず、一見理解しがたい偏愛を見せる人がいる。それも突き抜ければ人間愛というか、世界を俯瞰する哲学のようなものの見方ができるのかもしれない。そういう趣味ならば持っていたい気がする。