ガチャ

 格差社会を表す言葉の中でも特に悲しい表現に親ガチャというのがある。子にとって親は選べない。誰の子として産まれるかで人生に大きな差が出るということだ。

 これを運命論として片付けてはならないだろう。その家に生まれたのが定めであり、神の思し召しでもある。それを受け入れた上で分に応じて生きるしかない。これは近代が克服した社会観であったはずだ。

 ところがどうも最近の風潮では運の悪さという結論に持っていこうとする風潮があるように思えてならない。諦めがそこには溢れている。苦境にある子どもがそれを言うのならば同情の余地がある。しかし、そうでない人はこの考えはいちはやく捨てなくてはならない。格差は多くは社会システムの問題で起きている。それを放置している政治家と、彼らを選んだ国民を問題にしなくてはなるまい。

 格差を自分の問題と認識できなくなったとき、その禍は必ず自らに至る。相対的貧困率の高いと言われる現実に向き合わなくてはならないだろう。

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