
中学唱歌の「箱根八里」は私の好きな歌の一つだ。箱根を天下の険と言い放つ潔さは爽快だが、この歌を支えているのは七五調の文語詩である。
古典文には源氏物語のような優雅な文体と、平家物語のような和漢混淆文も持つ歯切れのよい文体とがある。後者は現代日本語の礎となっており、読んでいて共感しやすいのはそのせいかもしれない。
箱根八里の最初のフレーズでは険、函谷関などカ行の音が印象的だ。つぎの部分では万丈、千尋などザ行、聳え、支ふ、などのサ行音が際立つ。漢文由来の難解な語も一度その意味を知れば代えがたく感じる。
文語調の歌曲を歌う機会は子どもたちの世界から急速に消えつつある。箱根八里はかつての子どもたちにも難解だったはずだ。卒業式の定番、仰げば尊しや蛍の光もその意味を説明できる高校生がどのくらいいるのだろうか。
時代遅れと排除するのは容易だ。ただ、それによって古人の叡智を切り捨て、日本語の可能性を狭めていることに気づかなくてはなるまい。
