人とは違う成長

伸び方はそれぞれ

 長年教員を続けているといろいろな生徒に出会うことになる。中には学力は高いがメンタルが弱い人や、人間的な魅力はあっても他人と共生する能力に劣る人もいる。こういう人たちは集団生活に適合しない人として問題視される。

 でも、その人の絶対的な評価が低いとは考えたことはない。いまの学校がもっている物差しでは測れないというだけのことだ。それぞれの人にはそれぞれの成長の過程があり、一見劣っているように見えても実は優れているといったことはいくらでもある。個性というにはあまりに曖昧かもしれないが、個々人の能力、コンピテンシーといったものは簡単に測定できるものではない。

 ところが、現実社会ではあたかも学力には序列があるかのように思わせ、性格にも強弱、優劣が数値化できるかのように見せることが行われている。学校などの教育現場ではそのうち現体制に都合のいいものを選び、その数値で人を評価している。数値化することは現状の把握のための手段であるから不要とは言えない。ただ、それは数多くある尺度のいくつかであり、別のメジャーをつかえば別の人間像になるということを忘れてはならないだろう。

 少々心配なのは教員になる人の大半は現行の教育のなかで優秀な成績を取り続けてきた人であるということだ。自らができることが生徒にできないはずはないとか、当然こうするべきだとかいう思い込みは捨てなくてはならない。効率主義の企業と教育の現場との違いはそこにある。

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