
平家物語の冒頭を覚えさせられた記憶は多くの人と共有するはずだ。意味は後まわしでとにかく声に出して言えることが求められた。これには実は一定の意味があった。
中学生のときに例の祇園精舎の暗唱が課された。覚えたものを教員の前で言わなくてはならない。職員室の片隅で行った。他の教員の視線を時折感じながら盛者必衰の理を語ったのは思い出に残っている。
高校では社会科の教員に藤村操の巌頭之感を暗唱することが課された。なぜ遺書を教材にするのかまったく理解不能だった。テストにも出た。教員の趣味が出ていたのだろう。
文語を覚える機会は限られている。品詞ごとに文法を教える伝統的な方法は、古文や漢文訓読には不可欠だ。ただ意味もなく覚えろと言われてもなかなか頭に入らない。入ってもすぐ抜ける。なんからの別のアプローチがいる。その一つが文章の丸暗記だ。
意味はあとからでいい。とにかく古文の調べを体感させること。それには暗唱は一定の効果がある。
