読解力

真剣に読む

 これまでも何度か話題にしてきたが、読解力の低下にいかに対処するのかは大きな課題の一つである。かくいう私もこの力が漸減しているのを感じている。社会的要因があると考える。

 私個人の問題としてはもちろん老化といった身体的要因がまずある。残念なことだが短期長期の記憶力の低下は大きな影響がある。それよりも実は深刻なのが真剣にテキストに向き合う機会が減っていることではないだろうか。

 日々の生活の中で読解力の有無が致命的な影響を及ぼす機会は減っている。これを読まなかったために大きな損失を被ったという実感を得る機会が少ない。もちろん本当はかなり死活的問題をもたらしているはずだ。それに気づかない。

 現代社会は説明過剰である。効率的なやり方が予め示される。だから自分で状況判断して最適解を模索するという機会が少ない。なくても十分なのだ。これは便利で一見優しい仕組みだが、読解力の養成には向いていない。

 真剣に文章を読む機会がないのなら、意図的に作るしかあるまい。それが現代国語教育の役割の一つだ。こういうと契約書の読み方を教えるといった実用文を扱えはいいという話になる。しかし、実用文はもともと分かりやすく書かれており、最終目標にすべきものではない。

 様々な話題、筆者の評論文や、文学作品、古典文学などを学ぶのは死活的な状況で読む読解力の養成に相応しい。内容から学ぶ叡智はさることながら、難解な文に向き合い読み通すことが大切なのだ。

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