楽しく学ぶ

勉強は楽しくなくては

 脳科学者の発言は教育現場の従事者としていつも注目している。学問レベルと現実のそれとは噛み合わないところもあるが、参考にすべきことは多い。

 学習効果にドーパミンなどの快樂物質が関与していることは色々な知見がある。経験上も好きなことや興味のあることはかなりよく知っており、なかなか忘れることがない。好きなアーティストの何年も前の歌の歌詞を覚えているのはこの効果があるという。逆に意味を感じない情報の記憶はエビングハウス博士の統計通りにあっさり消えていく。

 ならば、現場の効率を上げるためにはこの要素が不可欠だ。学習は楽しくなくてはならない。ここまでは何度も考えてきた。

 ここで私は教える側の話に限定して話を進める必要を感じる。楽しく学ぶというのは学習者側の問題であり、様々な可能性を想定できる。学問は苦行ではないと理解することが突破口なのだろう。これが教える立場の問題となると話が変わる。とりわけ学校のような一斉教育をする場面においてはなおさらだ。

 教室にいる生徒の興味や関心は多様であり、何に対して反応するのかは分からない。自分が生徒だった頃、世界史の先生の話は面白かった。講談を聞いているような感覚となり、興味が湧いた。ただ、同級生に聞くと無駄話が多く、教科書に書いてあることの説明がほとんどないので無意味に感じたというのだ。彼はその後理系の大学に進学している。

 関心のある人だけに作用する話をすればいいというのが、長年教員をやってきた私の基層にある考え方だった。特に高等教育機関で教えていた頃はそう考えてきた。しかし、中等教育に身を移し、さらに昨今の現状を鑑みるにそれだけでは立ち行かないと痛感している。目指すべきは国民の教養の底上げだ。

 何かを教える際に何が引っかかりになるのかを想定して置くことが今できる最低限のことだろう。先に述べた歌に関心があるのか、デザインに関心があるのか、人間関係か、金銭的価値か、物質的な何かか。人によってそれが違う。そのフックのようなものをたくさん用意しておくことがドーパミン発生の要因となるのなら、それを意識して教えることで一定の効果を期待できそうだ。

 できればその試みの挑戦者の一人として私も加わりたい。試みに進めている「国語の再学習」のサイトをこのブログにリンクすることで第一歩を踏み出したいと考えている。

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