コロナ感染者が増えだした。世界的にはすでに多くの国々で感染者が激増していたのに日本は異常なほどの低水準であったが、ここにきてその波に飲まれつつある。多くの人が予想していた通り、年末年始の人々の移動も要因になるはずで全国的に広まる可能性が高い。感染予防には万全を尽くさなくてはなるまい。
オミクロン株感染者もすでに1200名近くに達し、市中感染としか考えられない事例も増えている。報じられているようにこの新種は感染力は強いが重症化の率は低いようだ。とはいえ確率の話であり、個々の状態はそれでは計れない。警戒は欠かせない。
ただ、私たちはなんどもの流行を経験し、単に閉じこもるだけでは立ち行かなくなることを悟りつつある。動けるものは動かなくてならない。動かせるものは動かさなくてはならない。こうするとまた別の意味の格差が生まれるという可能性もある。条件が悪い人を助ける方法も確立しなくてはならないのだろう。
分配という言葉は先の選挙での争点になっていた。一見理想的な話のようだが、経済の専門家に言わせればそうでもないらしい。格差ができるのは資本主義の宿命であり、格差がないことは資本主義がうまく機能していないことなのだという。なんとも残念なことだが、そもそも貨幣経済そのものが差を生み出すことで利益をもたらす仕組みであるのだからある意味当然ともいえる。
だから、首相が一時固執したような金融課税のような方策は資本主義国としては要注意なのだそうだ。富裕層が見切りをつけるとその国の経済が立ち行かなくなる。むしろビジネスチャンスが多い方がいいというのである。政府も最近その方向に転換しようとしているようだ。
富裕層が増えれば経済活動が活性化するのかといえばそうでもないような気がする。格差が拡張すれば結局大きな社会問題になる。等しく豊かにという社会主義的方策を続ける中国も、どうやら資本主義の軛からは逃れられそうもない。
制度的な分配策よりも自主的な篤志を促す方策の方が結局はいいのかもしれない。自主的に困っている人や頑張ろうとしている人に援助できるシステムを作るのはどうだろうか。寄付に対するより大きな減税や褒賞をより分かりやすい形に示すのもいい。昔の日本はかなりのムラ社会ではあったが、同一集団に対しては相互扶助の機能も働いていたようだ。その長所は生かすべきでないか。
コロナウイルスが大流行するたびに思うのは、人間は支えあわなくては無力だということだ。嵐が吹くときは助け合わなくてはならない。
