私が対象を型にはめて考えているということは先日も書いたが、これは人物に対する評価にも当てはまる。そしてとても注意しなくてはならない事実でもある。
個々人のあり方は多様であり、厳密には唯一無二の存在しかない。しかし、それを私は何通りかの型に分類しているような気がする。特に視力が落ちて細かいところが見えなくなったいま、外見上の特徴に関しては分類項目が減っている。よく似た人がいると認識することが増えているのはおそらくそのせいだ。本当は全く似ても似つかない。でも、判別する型が減少すれば同じ範疇に分類されてしまうのであろう。
気質、性格、コンピテンシーに至るまで分類の方法はかなり大雑把になりつつある。あの人はこういう人だから、という時のこういう人の分かれ目の数が減っている気がするのだ。絵画に喩えてみれば使える絵の具の色とか、筆の種類とかが少しずつ減らされている感じだ。
こうした傾向に歯止めをかけたい。どうすれば絵の具の色彩を減らさずに済むのか、摩滅した筆を捨てずに描き続けるのにはどうすればいいのか。縮小傾向のなかでもできることはあるのかもしれない。別の絵の具で色を創り出すとか、筆力を減らしても描ける方法を編み出すとか。やれることはまだあるのだろう。まだあきらめる段階は早い。

