日本人の国民性として取り上げられるのが「空気」の察知能力だ。個人よりも集団を重視する日本人はいまいる環境の中での適合を好む性質がある。秩序を重んじるのはそのせいだといわれる。これは長年言われ続けていることだから、ある程度は正しいのだろう。
「空気を読む」はしばしば命令形で用いられ、集団の輪を乱さないことが美徳とされている。これはこれで素晴らしいことだと感じる。ただし変化には弱い。国際社会の中で日本が衰退の方向に向かっているといわれているのは、このことと関係があるのかもしれない。過去に日本が苦難の歴史を乗り越えてきたのは、時代の変節点においてこの国民性を一時的に変更し、極端から極端に走ることで対応してきたからではないだろうか。
極端に性格を変えることには相当の痛みを伴う。多くの犠牲者が出る。それを避けたいと思いながらも、どうしても極端に走ってしまう。過去の秩序を旧弊として非難する風潮が社会に満ち始めている。やがてこれが日本社会を大きく変えてしまうかもしれない。だが、事態が落ち着くとまた同調モードに逆戻りして平和主義になる。そういう歴史を繰り返しているのではないだろうか。
もしそうならば、いまは同調モードが破綻しかけている時期と察する。このあとに大きな変革があるかもしれない。いやすでに始まっているのかもしれない。同調しきれない要素が世界を満たしたとき、一気に変化していく可能性がある。そこでの痛みをなるべく減らすために、私たちは過去の歴史に学ばなくてはならないかもしれない。
