古典を活かす

 古典的なものをそのまま保存することは意味がある。ただ、それだけでは博物館から出ることはできまい。思い切って古典のコンセプトを現代に活かしてしまう試みをもっとしてもいいと考える。

 私は古典文学を専攻してきたが、最近どうも分が悪い。そもそも学校で古典を教える意味があるのかなどと言い出す人もいるし、古典など知らなくても立派に成功していると豪語する人もいる。彼らは日本語という言語で思考していることを忘れているのだろうか。わたしたちの使う言葉は明らかに古典の延長上にある。

 経済効果しか頭にない人に古典の学習意義を説明するのは難しいが、どうもそれも明確化できそうな気がしてきた。コモディティ化が進む世界にあっては独自性特殊性こそが価値を生む。古典的な世界を再構成することも一つのその手段なのだ。美術工芸など具現化しやすいものもある。古典を活かせば新たな可能性が生まれる。

 おそらくそれが見えたときに古典学習を縮小しようという声も消えるのだろう。別に金儲けのために古典を学ぶつもりはないがまずは仲間を増やさなくてはなるまい。

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