かつては労働者の日といわれた今日だが、私にとっては子供の頃からすでに過去の行事であった。労働が給与をえるための行動であるという認識しかなかった。そこに働き甲斐を感じるのは付加的価値であり、贅沢な願望というのが実際的な理解であった。
私の人生を考えると高度成長期が終焉し、バブルからその崩壊後の閉塞的な低成長時代を送ってきたことになる。運良く自らの興味のある仕事につくことができ、初期の頃は分不相応な仕事までさせていただいた。しかし、不景気になるとその夢は消え去り、職場も失いかけた。運良く今の職について私なりに労働の価値を感じ続けている。
ただ、働くことが疲弊につながると考え出しているのは私が高齢化したからだけではない。労働に余裕がなく、自分の人生を豊かにしているという実感が損なわれてきているのが問題なのだ。目標志向はよい、企業としては当たり前だ。ただそれがあまりに自分の価値観と離れすぎているときには別の問題を生じる。
この連休は心身の休養ということはもちろんだが、働くことに関しての視座を見直すきっかけにしたい。