古典の学習が無意味だという人はかつてから一定数いる。特に学習に興味を持てず苦しんだ人に多い。学生たちの愚痴として、また大人の思い出話の一環として語られることが多かったが、最近、影響力のある人までが発言するようになったのは残念だ。
古典文学の学習は文化の継承に不可欠というだけではなく、母国語の深層部を知るきっかけになるものだ。例えば「うつくし」が可愛らしい意味を中心に用いられていたことを知ることで、現在の「かわいい」文化の淵源がわかる。考え方の型や、人生観の変化も学ぶことができるはずだ。
学校の古典教育が入試科目として位置づけられ、表層的読解に終始してしまっているのがいけないのかもしれない。このことは回を改めて述べてみたい。
