見えない何か

 見えない何かを伝えることは難しい。自分でも見ていないものの場合はもっと困難だ。しかしそれをやらなくてはならない場面は常にある。

 見たことがあることや、ものしか伝えられないのだとすれば、コミュニケーションの幅はかなり狭まる。ほとんどのことは聞き伝えであり、それを知識という名で納得している。知識を積むことは善なることで誰も躊躇いはしない。それを他人に話すことも知的営為とされる。

 ただ、未経験の知識は伝えることが難しい。伝えられても皮相なものになる。私はそんなとき幾分かの引け目を覚える。

 知ったかぶりはよくない。ただそれがなければ進歩はない。知らないことでも正しいと思ったことは伝えていくしかない。その根拠を補強する技を覚えなければならない。

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