言葉に換える

 私が恐らく毎日苦労しているのは、今考えていることを日本語という言葉に落とし込むことなのだと感じる。いろいろなことが頭をよぎるがすぐに消えてしまう。それをどう表現するのか。他人にどのように共感してもらうのかを毎日試しているのだろう。

 脳内をめぐる刺激のようなものがやがて感情を形成するのならば、その仲立ちをするのは言葉である。言葉がなければ感覚は記憶できないし、刺激の類型のどれかとしてその都度感じるに過ぎない。それが例えば「暑い」という言葉によって、同様の刺激をひとまとめとして把握できるようになる。それらが組み合わさって単語になり、一定のルールのもとで文になる。それを組み立てて文章ができる。もちろん筆記されることはさらにその先の営みである。

 なんとなく感じている思いが言葉になるまでの何とも言えないむずむずとした感覚は、沸き起こってはすぐに消えてしまう。言葉として記憶しなければ刺激をとどめることができないのだ。私が文章を書いたり、詩歌を残そうとしたりするのはそれを何とか形にしたいと思うあがきなのだろう。それは人間という言語を獲得した生物の宿命でもある。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください