知らざあ言って聞かせましょう

 私たちは自分の常識が無条件に誰にも通用すると思い込んでいる。そもそも常識という言葉にすでに油断が含まれている。実際はそんなに甘くはない。

 他人とコミュニケーションをするときに常に現在地を確認しながら話をするのは骨が折れる。言わずとも通じる仲間を理想とするのだ。しかし、つきあいが広がるほどこの手続きは欠かせないものになる。

 相手は自分のことを深くは知らないということを前提にコミュニケーションを進めていくべきだ。最近はそう感じることがとても増えている。おそらく私の考え方のほうが特殊なのだ。そう考えることにしている。

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