タグ: 生産性

生産の儀式

 生産の儀式というのは正しい表現ではないが、私の場合は結構大切なルーティンである。それをすることで非日常の時空を無視やり現出する。それが今の私の必須の日課だ。

 日常の中に無理やりあやをつける。その人為的な所為によって私は安楽な平凡から少しだけ抜け出せる。だから時間があれば何かが出来るという訳ではない。むしろ暇な時間は限りなく空白の何しない時間になってしまう。何かをなすためには意図的にそれを行う準備をして、かなり意識して始める。

 いまの私にとっては何かをすることはこのように大げさな企てが必要だ。そのための方策をいろいろ考えいる。もっと自然に始められたらいい。かつてはそうだったが、懐古は止そう。面倒だが今は儀式あってのことなのである。