タグ: 楽しみ

学び直し

 教員の役得の一つとして、近くにいろいろな教科の教員がいるということがあります。これを利用しない手はない。そこで学び直しといくことにしました。

 教材は生徒諸君が卒業時に残していった問題集や参考書がありますので、それを使えます。なぜかほとんど使った形跡すらないのはなぜかわかりません。でも報われなかった学びの本たちに活躍の場を与えてあげることにしたのです。

 継続できるように学びの記録はスタディプラスというサイトにつけることにしました。問題集単位の記録なので何をどこまでやったのか分かりやすいのがよいところです。いつまで続くのかお立会。

 生涯学生と考えていますがそれを形でも表わそうということです。最近読んだ脳科学の本によれば高年齢者の脳も学習次第で活性化するのだとか。真偽のほどはさておくとしてとりあえずやってみたいと考えています。

人に頼らず楽しめるもの

 最近読んだ本の中で楽しみは一人でできるものを持っていた方がよいというのがありました。一つの真理ではあります。

 誰かのために何かをするというのが人間の究極の喜びであるとの考えにも接したことがあります。集団で生きる人類にとって他人への奉仕はいわば生物の遺伝的な幸福感の一つと言えるのかもしれない。そう考えさせられる言説でした。しかし、自己の幸福感を他者との関係に求めすぎるとたいていはうまくいかない。自分の思い通りに他者が動いてくれることは稀ですし、そう願うこと自体が他者にとっては迷惑になるときもあります。すると自己の幸福追求が他者にとっての不幸の始まりになってしまう。

 だから自己の幸福を追求する際に他人の反応を求めなくてもいいものを持っているべきだということになります。他人がどうであろうと自分が幸せを感じ、楽しみとなるものがあるのがよいというわけです。他人に迷惑を掛けず、結果的に他人にも幸せを感じさせるものであればなおよい。芸術活動の多くはこの枠に収まることですし、一部のボランティア活動もそれに含まれるかもしれない。いちいち他者の反応を気にしなくてもよい趣味的な活動があるといいというのでしょう。

 私にとってそれは何だろう。幸せを感じるほどのなにかを見つけなくてはと考えています。実はもうあるのかもしれませんが、具体的に意識していることはないのです。