タグ: 国民性

典型的な日本人とは誰のことなのか

日本人の代表を選ぶとしたら誰だろう。予め言っておくが、最も優れた人を選ぶという訳ではない。リーダーとしての人材でもない。日本人らしさの代表である。大谷翔平も橋本環奈もその意味では選ばれ得ない。

 ならば、もっとも日本人らしい人は誰か。とたんに難しくなる。そんな人はいないというのが正解かもしれない。でも、敢えて一人を選ぶとしたらという問いに答えることはできるだろうか。

 平均顔というものがある。日本人の顔のバランスを数値化し、平均を取ると出来上がるものらしい。信憑性は分からないが合成された顔を見ると、悪くない。むしろ美男美女と言えるものになる。これは合成された顔が左右均等でバランスのいい配置になりやすいことからおこるらしい。出来上がった平均顔はどこにでもいそうで決してどこにもいない顔だ。

 性格や言動も平均が取れるとして、まとめ上げたらやはり理想的なキャラクターになるのだろうか。興味深いがそんな人物も限りなく気味が悪いものになる可能性がある。やはりこれこそ日本人だと言える人物は存在しないのだろう。

 時代を越えて好まれるのがいわゆる日本人論と呼ばれるテーマである。書店に行けば必ずこの手の本があるし、一定量売れるようだ。そして定期的にベストセラーになる書が現れる。日本人は自国民がどのような存在なのかに関心が高いようだ。

 何を持って国民を論うか。実は極めて曖昧で恣意的な問題だが、それに対する関心は捨てられない。平均顔の写真を見ていろいろ思うのと少し似ている気がする。

日本の器

 日本文化を独自性だけで語ることは難しい。私たちの文化は有史以前から、複数の異質の要素を受容し、それを融合する形で発展してきた。その意味ではオリジナルはほとんどないが、融合したものは唯一無二なので、すべてがオリジナルともいえる。

 ハイブリッドはこの国の特長であり、それがこの国を成り立たせていた。今日本は均一化、閉鎖性の弊害に見舞われている。自己満足が国としての活力を奪い、得るべき収穫を逃している。謙虚になる時期である。

 ネット上にはナショナリズムが溢れている。自信を持つのはいいが限度を越えれば害にしかならない。我以外皆我師の考えに立ち返るべきだ。一見、消極的に見えるが実はこれが最も強いあり方なのだ。

 日本の器に何を盛り、どういう料理を作るのか。その考え方を忘れない限り安泰であろう。