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感動する短い動画の原点

 人の善意や悪意を短い動画にして見せるというものがある。小説には短すぎるが、短時間で全体像がわかり、それなりに感動できるというものだ。作り話だと思いながらもつい見てしまう。そして、このときに得られる感慨にどこか見覚えがあるのである。ほかでもこのようなことを経験してこなかったかと。

 何だったかとしばらく考えていると、思い当たるものがあった。いわゆる説話文学のなかにある世俗説話と言われるものや、江戸時代の奇人伝と呼ばれる個々人のエピソードを描いた文学の読後感とにているのだ。古典にまでさかのぼらなくても、個々人のちょっとした体験をつづった新聞や雑誌の読者投稿欄にも同じようなテイストを感じる。共通するのは分量が短く、簡潔で、読者は書かれていることを一応事実もしくは事実の可能性が少しはあるものとして受け取っているということだろう。そんなこともあるのかと思わせることがこの種のストーリーのミソである。

 今は人工知能の手を借りれば簡単な動画をそれらしく作ることもできる。人の善意や悪意を際立たせて筋を作れば現代の世俗説話ができてしまうのだ。しかもかつてなら専門家が長い時間をかけて作っていたアニメーションやそれっぽい実写風の動画も家庭のコンピュータで作れてしまう。それは新しい表現ジャンルができたのだということができる。それが創作であり、現実ではないというリテラシーが見る側にますます要求されれることになるのではあるが。