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群集心理

 人命に関わる大事故は絶対に避けなくてはならない。コロナ開けで様々なイベントが再開する中で、中断期間にリスク回避の方法がどれだけ継承されているか、人件費削除のために警備に割く人員を減らしていないか懸念される。最近の日本人の心理として人件費削減のためのサービス低下は仕方がないと諦める傾向があるが、これは譲れないものである。

花火の季節

 各地で花火大会が復活し、かなりの人を集めているという。そこで問題になるのは群集心理による事件や事故が発生しないかということだ。2001年の明石市の事故は花火大会の報道とともにいつも想起される。群衆事故として世界的にはソウルの梨泰院のハロウィンでの大惨事が思い出される。その他エンターテーメントや、スポーツイベントなどで数多くの事故が起きてきた。

 参加する側のモラルも低下していないか。世界のスポーツイベントで清掃をして帰る選手と観客に称賛が送られるのは誇りになろうが、ゴミを勝手に捨てていく近隣の人々のいる現実との齟齬が大きすぎる。恐らく私たちには二面性がある。注目されているときには礼儀正しいが、自分と無関係の人々が周囲にいると認識したとき傍若無人になる。かつて中根千枝が指摘したほどであるかはわからないが、我々は余所者に対しては無礼になりがちだ。その意味で日本人は民度が高いとかモラル意識の高い国民と評する人がいるときに疑問を感じるのだ。

 花火大会ではまずは自分だけいい場所を取ろうなどと考えないことだ。そして花火は空中に飛び散る火薬の燃焼の集合体だけでできているのではなく、それを見る人達の感動とか幸福感と複合してできているということを思い出すべきだ。その場にいる人が不愉快になるようならばそれは花火ではないということだ。その場を共有しているという思いが持てれば焦ることはない。事故も起きにくい。モラル違反も起きないだろう。

 群衆事故の悲劇は犠牲者もその周りにいる人にも大抵の場合は悪意はなかったということだ。ただ、後から考えればちょっとした配慮が欠けていたということになる。これから人が集まる行事が増えてくるが、これだけは考えなくてはなるまい。人間の脳はある程度の人数を超えてからは行動の方法が分からないようだ。対応できないという事実を知っていれば、少しは悲劇は防げる。