震災の次の日

 震災の日の驚きはいまでも時々思い出す。ただその日は事態に対応するだけで精一杯だった。その時点ではスマートフォンを持っていなかった私は緊急地震速報なるものを同僚の機器から耳にした。その日にはそれが何度も響き、その後も定期的に行くことになった。

 でも、事態の深刻さを知ったのは翌日からだった。衝撃的な津波の映像、福島の原発の爆発、放射能被害の切迫した報道、すべてが未知だった。電力の供給が止まるかも知れないとか、その後の計画停電とか知らなかった言葉が次々に横溢した。世界が大きく変わり、不可逆の別次元に入ってしまった感があった。

 これは一面、いまでも継続する真実だ。諸行無常を知識ではなく経験で痛感したのだから。恐らく日本で暮らす人々の価値観が大きく変わった気がする。ただその信念でさえ無常の掟から逸脱することはできない。電力需要の困難に直面し、原子力発電の功罪を痛感したのにも関わらず、人工知能を駆動する大量の電力を消費し続けている。電気自動車は環境によいと信じている人も多い。

 震災の次の日の呆然とした気持ちと、それを乗り越えようと決意したときの思いをもう一度取り戻すことには意味がありそうだ。

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