フェイクニュースを作る心理は

 人工知能による画像加工が容易になった現在では、さまざまなフェイクニュースにその偽画像が登場する。動画でもかなり本物らしさは完成しており、かなり注意して観ないと真偽が判別できない。

 フェイクニュースを作るのは人間であることを思うと、なぜ彼らがわざわざそのような紛らわしい映像を作るのかを考えなくてはならない。YouTubeのような動画サイトでは再生回数が収入になるから、それが目的と考えられる。要するに金儲けの手段としてやっているということだ。それならば非難も可能だ。自分の利益のために多くの人々を混乱させることは許しがたい。

 面倒なのは、ニュースの当事者が絡む場合だ。状況上不利な立場にある側が、その抗議行動として意図的にセンセーショナルな報じ方をする。分かる人には見え見えの茶番だが、恐らくもっと深い根があるのだろう。その深みは大半の人には分からない。

 そこにある個人的な感情を少しだけ知りたいような気持ちになることがある。怨嗟か羨望か屈折した賞賛なのか。よく分からないが、それなりに強い感情が、燃え盛った末のことなのだろう。

 フェイクニュースを作る心理の寂しさに同情する必要はないが、人の性としての哀れみは捨てられない。恐らく世の中で注目されている人のかなりの割合で、この類のことが起きているようだ。人生は大抵の場合上手くいかない。それでも時々幸運が巡ってきてやり過ごせるのだが、それも長続きしない。不如意な人生を少しだけ変えたいと思うのは人情というべきのなのであろう。そこには幾分かの同情の余地がある。

 人心を惑わす悪行は許せない。そのためにどれだけの悲劇が始まるのかを考えなければならない。ただ、同時にそのような行動に追い込まれた人たちの哀れを思いやることも大切だと考える。

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