見ている風景の価値

 錯視という現象は人間の脳の構造的な問題に関係するらしい。どのようにものを見ているのかは、脳のフィルターを通して捉えられ、必ずしも現実の姿を映しているとは限らないというのだ。

 極端な錯視の例は理解可能なのだが、実はそのように見えていただけで、実は違っていたのだといった軽微な錯覚は多くは意識に上がらない。だからそれが虚像なのか真の姿なのかという判断にすら及ばないのだ。

 自分の目を信じろというときは、さまざまなバイアスを織り込みながらもその経験を尊重せよということであり、決して真実至上主義という訳ではないのだ。

 極端なことをいえば、人は同じものを見ることはできないのかもしれない。実は違って見えているのものをこれはこう見えるねと示し合わせる手続きをたびたび行うことで同じものであるとみなしているのに過ぎないのかもしれない。

 何をどのように見ているのか。それは実はとても不可解で、繊細かつ重要な問題である。

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