自分の話を愛想でも良いので聞いてくれる人がいるというのは意外にも大切な幸福感なのかもしれない。若い頃はそんなことは思わなかった。むしろ自分の本心は外には出さず、適当なことを述べておいてその場を切り抜けることが大半だった。そうですねと言いながら本心は他にあるということが多かったと思う。
それが次第に様相が変わってきた。前よりも周囲に同意を求める、というより反論も含めた反応を求めることが多くなった気がする。私は私という牙城をしっかりと建設できなくなったのかもしれない。
親が入所している施設にいる高齢者はそんな事実を証してくれる。たまたま自分の親以外の方とお話をすると非常に喜んでいただけるのだ。多くの場合は意味不明瞭であり、同じことの繰り返しが多いが、それに対して向き合う姿勢を見せただけで非常に喜んでいただける。中には涙を浮かべて感謝されることもあった。いかに話を聞いてもらうことが大事なことなのかを痛感するのだ。
高齢者だけではない。私たちは対面的コミュニケーションを渇望している。ネット社会で「ともだち」は増えても、実際には孤独感が日々増えてゆく。それが現代社会の一面なのである。