学の独立?

アメリカの大学で多様性・公平性・包括性(DEI)に関する方針が後退したという。トランプ政権が補助金の停止などをちらつかせてこうした方面に抑圧をかけているのだという。ハーバード大学がDEIに関係する部門を閉鎖していることからもその深刻性が分かる。自由の国と思われていたアメリカ合衆国にして大統領の意向に従わざるを得なくなっていることに大きな衝撃を受ける。

 同じことが日本で行われたらどうなるだろう。日本人ファーストが受けた最近の動向ではあながち妄想とはいえない。例えば国立大学の留学生の数を減らし、政府の意向に合わない政治経済思想に関する学問領域の補助金を削減することが決まったらなどと考えてみる。官立学校が政府の役人養成のために作られた我が国の国立大学の歴史を振り返れば、アメリカ以上に政府の統制が浸透する可能性は高い。私立学校はそれに対抗して学の独立を貫けるのか。これもかなりあやしい。日本の大学はあまりにも企業化しすぎており、建学の理念だけで生きていける学校はほとんどない。

 ならば、アメリカの現状を招来の日本の在り方の予告編とみることができる。大学が権力者におもねり、それに対する批判は抹殺される。そうなれば全体主義の一歩手前だ。その事態が間近にせまっていることを認識しなくてはならない。先の大戦でも優秀な先人は多数いたのに戦争の結果を予測できず、敗戦までのストーリーを見通せなかった。これはいかなる美談への変換もできない事実である。

 少なくとも良識のある国民を育成する学校を死守すべきであり、その頂点としての大学の在り方を考え直すべき時は来ている。東大に入ることは決して個人の幸福を追求するためだけではない。学生たちが自分の将来について自由に論じ合える場所を提供することが大学人の使命だと心得る。

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