減退した中で咲かせる花はあるのだろうか。最近はそればかり思う。自分の心身の衰えを痛感するゆえに、それでも何ができるのかを模索したくなる。
年老いた親の姿を見ると、己の未来が如実に予測できる。どんなに気丈であっても、脳に障害が発生すれば遺憾ともしがたい。私のように不摂生な毎日を送っていればその落ち込みは急激に表れるはずだ。
だから、せめてどうしようもならないうちに、人様の役に立つことをしておきたい。最早、最後の目標はこれから自分が他者から受ける恩恵を越える貢献を残したいということしかない。残念ながら、財産を寄付するといった直接的な貢献はできない。わずかでもお前がいて助かったというに何かをしておきたい。
恐らくこうした願いは先輩たちが共通して考えてこられたことなのだろう。でも、これを言葉にすることは難しく、評価も困難だ。多くの方が思い半ばで他人に見いだされないままになられている。
自分の業績を残したいわけではない。ただ、相当意識していないと加齢とエントロピーの崩壊則に飲み込まれてしまうことは忘れてはならない。