言語化という言葉の真意

 最近よく聞くのが言語化という言葉だ。何かをうまく行かせるために必須の過程だと言われる。確かに形なき思いは応用できず、そのままになってしまう。自分が直面していることに言葉を与えることで取り扱い可能の材料になる。

 ただ、この言語化は言葉にすること以上に大切なことがあることを忘れられている気がする。言語化されていない状態の現実に向き合い、見逃さないという努力である。このことを忘れてしまうと既成の言葉を積み合わせてうまくやろうと考えるようになるだろう。ならば新しい何かは見つからない。

 言語化は形がなく概念すらないものに名付けをすることなのだから、思う以上に難しい。そのためにもまず、もやもやとした現実から目を逸らすことなく、手探りのじれったさから逃げないことが必要なのだ。なんでも検索や人工知能で探し出せると考えてしまう現代人には難しいことである。

 恐らくそれは普段の生活の中にちょっとした冒険の心を持ち込むことで達成されるのだろう。日常から少し抜け出して見ることで当たり前と考えていたものの陰に隠れている何かが見えるときがあるはずだ。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください