3月に思う国語教育の未来

 3月になった。私の仕事にとってはまとめの月である。いろいろなことを省みながら次年度の計画を立てる大切な期間ということになる。学校は同じことを繰り返しているから楽だという人もいるが、そんな状況ではない。生徒の気質は個々人で異なる。また世代ごとの傾向も変わってきている。加えて子供たちを取り巻く世界が急速に変化していることもある。

 このブログでも繰り返し書いているが、いわゆるZ世代の国語力はある方面では危機的だ。自分で文章を組み立てることをしないから、論理の立て方が甘い。検索して得た知識(もどき)は多彩だが、その背景にある要素についてはあまり知らない。ネガティブなイメージを持つ言葉をふさわしくない場面で使っても気が付かないことが多いのはその一例だ。

 3月に考える来年度の計画としてこの国語力の教育の見直しを考えている。語彙力、文法力、論理構成力などはしっかり固めるのにはどうすればいいのか。言葉の裏側にある歴史、背景、エピソードを教えるのにはどうすればいいのか。自分で考える前に生成AIに頼ってしまう子どもをどう指導すればいいのだろうか。それを一つずつ考えている。

 実は私もしばしば生成AIに相談することがある。その回答が即答され、中には明らかな間違いがあるが、役に立つこともある。おそらくこれからの世代にとってはこのようなAIとの会話も必要になってくるのだろう。そのためには何をどのように相談するのか、返答の内容をどのように評価するのかが大事になってくる。やはりここで必要なのは国語力だ。既存の事実や現象を検索することは確かに早いが、それを総合して未知の問題を考察するためにはやはり自身の言語運用力が必要になる。それを開発するのがこれからの国語教員の仕事になるのだろう。

 もうこの仕事ができるのもわずかだが、後生のために最後の知恵を振り絞りたい。教員人生の締めくくりとしてはやりがいがあることだ。

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