トランプアメリカ合衆国大統領の関税を盾にとった外交術はどうもディールと考えられる。大きな関税をちらつかせることで相手を追い込み、有利な条件を導くという手法だ。アメリカのような超大国がこの手法を行うのは脅威というしかない。大国というのはどの時代も横柄であり威圧的だが、今の㋐アメリカはそれがとても分かりやすく出ている。
日本のような大国に囲繞されている地勢にある国にとっては巧みな外交術が求められる。アメリカとは同盟関係にあり、従属しつつも言い分は通していくという今までの外交をよりしたたかなものにしなくてはならない。そして中国に対しては政治的には対極、文化的には親密という微妙な距離感を生かして対立しても敵にしないという政策をするべきだ。極端な親中派も反中も国益にはそぐわない。日本は巧みにふるまうべきだろう。
米中が対立関係にあるうちはその膠着状態の中で日本のような国が捲土重来を果たす機会である。経済力、軍事力で一番に離れなくても総合力で世界をリードする力を得る可能性がある。そのためにはかつての貪欲な向上力を取り戻すことが必要なのかもしれない。国のために働くとか、自分の人生を仕事に捧げるといった言葉は今の日本ではネガティブにとらえられる。場合によっては危険思想をもつ人物の扱いになる。でも今はもはやそういったことを認めなくてはならない緊急事態になりつつある。
そして超大国に伍するためには日本一国では力不足だ。運命共同体ともいえる東アジアや東南アジアとの連携を具体的に進めることも必要になる。文化的な多様性があることを認めつつも、大国の横暴を認めず、平和的な国際環境を保つという点においては協力ができるはずだ。そのことを促す役割を日本ができればいいと思う。
さて、先に述べたように現在の日本では、国のために働くという表現はネガティブにとらえられる。これが先の戦争への反省であり、占領軍によって叩き込まれた反戦思想の影響であることは間違いない。それ自体は間違いではない。ただ、国益のために仕事をしたい人にはその機会を与え、場合によっては報酬を用意する必要がある。幸せの実現の仕方は様々であり、家族との時間を第一に考える多数派の人物の幸福は当然保証しなくてはならないが、それよりも他者のためになる仕事、研究に没頭する人の情熱も同時に評価すべきなのだろう。それぞれの人が別の目的で生きることを認められる社会を作ることがこの国で必要とされている。
アメリカ大統領が分かりやすい商人気質のふるまいをする人であるからこそ、それに対応できる能力も求められる。アメリカが多様性の国であることを捨てつつあるのは衰退への一歩であるという説もある。ならば、その強みを日本やアジアの国々が引き継ぐことが必要なのではないだろうか。様座な生き方考え方を容認できる環境を作る必要がある。日本文化を考えるとそれは十分可能であると思われる。みんな違ってみんないいを目指すべきだ。