これまであまり推理小説のジャンルはあまり読んでこなかった。嫌っているわけではないが問題解決が小説の目的になることに対して、なんとなく違和感を覚えているからかもしれない。実際に問題が解決するようなことはないし、したと思えてもそれは捜査の終了を意味するしかない。本質的なことは何も解決できないなどとと勝手に思っているのだ。これは完全な屁理屈であって、単に好みの問題である。
それが昨年、近隣の文学館で森村誠一の展示をみて少々変わってきた。森村誠一はホテル勤務時代があり、サラリーマンとしての経歴を持っている。初期にはビジネス書も書いており、作家になるためにかなりの苦労を積んできたといえる。おそらく人間観察が得意であったのだろう。
「人間の証明」などのベストセラーを知っている私としては、当初から推理小説作家として成功していたと思っていたが、実はいろいろな苦労があったことを知った。またこのときの展示のお土産としてもらった
「地屍」という短編作品集を読んでみると、推理小説である以前に人間の悲哀をよくとらえていることが分かった。その延長上に犯罪はあるが、犯罪を犯さなくても人は悲しい存在であると教えてくれるのである。推理小説アレルギーは克服した方がいいと考えている。
これまであまり推理小説のジャンルはあまり読んでこなかった。嫌っているわけではないが問題解決が小説の目的になることに対して、なんとなく違和感を覚えているからかもしれない。実際に問題が解決するようなことはないし、したと思えてもそれは捜査の終了を意味するしかない。本質的なことは何も解決できないなどとと勝手に思っているのだ。これは完全な屁理屈であって、単に好みの問題である。
それが昨年、近隣の文学館で森村誠一の展示をみて少々変わってきた。森村誠一はホテル勤務時代があり、サラリーマンとしての経歴を持っている。初期にはビジネス書も書いており、作家になるためにかなりの苦労を積んできたといえる。おそらく人間観察が得意であったのだろう。
「人間の証明」などのベストセラーを知っている私としては、当初から推理小説作家として成功していたと思っていたが、実はいろいろな苦労があったことを知った。またこのときの展示のお土産としてもらった
「地屍」という短編作品集を読んでみると、推理小説である以前に人間の悲哀をよくとらえていることが分かった。その延長上に犯罪はあるが、犯罪を犯さなくても人は悲しい存在であると教えてくれるのである。推理小説アレルギーは克服した方がいいと考えている。