昨年末に起きた韓国大統領の弾劾に関する一連の動きはいろいろなことを物語っている。国情も制度も違う隣国のことをそのまま我が国の文脈で論じることはできないが、共通することがいくつもある。その一つが報道の在り方の問題点だ。最近はいわゆるオールド・メディアと呼ばれる報道機関も、恣意的な発信を続けるソーシャルメディアも、時流に乗って事実以上の力を持つことになるということだ。流れに掉さす者が多数現れると、それ以外のことは極めて言いにくくなる。メディア・リテラシーが大切だというがマイノリティの意見を見つけ、それに賛意を示すことはとても難しい。
韓国国会の多数派を占める政党が、党利党略で国会の機能停止を続けていたことに対する批判をすることはいまは発言しにくいようだ。政治的混乱が同盟国の信頼を低下させ、対立国を喜ばせていることも計算から外れている。先日起きた悲惨な飛行機事故に対する政府の対応が遅いと非難するが、大統領もその代行も職務停止にしたのは対立党側だ。経済対策も深刻な時期を迎えており、明らかにやりすぎである。次の選挙までに政権を正当な方法で奪い返せばいいのに国益を損なってまで争う必要があるのだろうか。
日本人である私には見えていないことがあまりにも多いので自分の考えにはこだわらない。ただ、内紛で次の政権が力を獲得するという方法は現代には合わないのではないか。そしてこの内紛はかつては巧みな外交技術や謀略で行われてきたが、いまはメディアによる世論操作が比較的簡単にできてしまうところに強い危惧を感じる。いまは隣国の話であるが、同じようなことはこの国にも起きる可能性がある。人を不安にし、その不安を権力掌握に利用する。それはいろいろな国の歴史で繰り返されている。結局誰が得をするのか、何が操っているのかを見抜く力を鍛えておかなくてはならないが、いまのような状況でははなはだ心もとない。
