長崎に短期間の旅行をする。長崎に行くときに思うのは自分の人生の根本にまつわることだ。もう何度か書いているかもしれないが敢えて繰り返したい。
1945年8月9日、プルトニウム型原子爆弾を搭載したアメリカの爆撃機は八幡を目指していた。製鉄所や多くの軍需工場があるこの地域を壊滅することは原爆投下の大義名分となっていたはずだ、ところが、実際に当地に着いてみると厚い雲に覆われ、投下目標点を見つけることができなかった。そこで、急遽攻撃目標を変更し、長崎の地に変更されたのである。私が絡むのは次の事実である。この日私の父は八幡で生活しており、そのために被爆しなかったのだ。
長崎に訪れ、被爆の悲惨さを聞くたびに思う。もしかしたら父の命を奪っていたかもしれない爆弾によって、長崎の人が多数亡くなったことに説明が難しいひけめを感じてしまうのだ。そして自分のようなものが生かされていることへ、感謝とともに謝罪の気持ちも浮かんでしまう。
