中学生のときの社会科の教科書に小さなコラムがあった。このままでは、地球の温度が少しずつ上昇するかもしれないというものだった。授業では扱わなかったし、そんなことが本当に起きるはずはないとほとんどの人が思っていた。
それから続く気象データの異変は、温暖化や気候変動といつた言葉で説明されるようになった。15年以上前のテレビ番組で、もしかしたら将来は桜の開花が1月か2月まで前倒しするかもしれないという内容のことがコメントされていた。その時も大げさだ。SFだと思った。
残念ながら、それらの予言のいくつかは当たり、あるいはその状態になる過程にあるといえる。気候の変化が災害をもたらし、農業や漁業などに大きな影響を与えている。予め知らされていてももはやどうしようもないと思えるほどになっている。
より俯瞰的な視点を取れば、地球はこのあと寒冷期に入るともいう。だが、たかだか100年、それにも達しない寿命しかないヒトにとっては、数世代あとまでのことを考えるのが精一杯だ。その間の変動で幾つもの種が絶滅し、そうではなくても深刻な危機が訪れる。人間にとってはそれらがもたらす動揺が動乱やテロ、そして戦争を誘発し、自滅の道を進むきっかけになるかもしれない。
少し先のことを考えることは大切である。地球規模の歴史を考えると我々は無力であり、いかに今ある世界を保全し後代に伝えるかを考える方がよい。気候変動はそれを気づかせるためのものなのかもしれない。