感触

 圧倒的に足りないのはその時限りの感触だと思う。それは常に一度限りの偶然のものであり、類型化できない。そういうたぐいの経験を現代社会はあまりにも蔑ろにしていると感じる。

 AIが達成した生成技術とは人々の経験の類型化の産物だ。個々人の経験はあくまでその材料であり、平均から遠いものは外れ値として処理される。かけがえのない経験というものは注意深く除外され、最も確率の高い答えが採用される。だから、間違っていないと感じさせるとともに、どこか胡散臭い感じもある。

 こんな時代に自分を見失わないためにはどうすればいいのだろう。他人と比べてこれが正解だと安易に考えないようにすることが大切だろう。ただこれにはリスクが伴う。社会的に正解と規定されたことから離れたことをすれば、それだけ評価が低くなる可能性がある。それでも自分の価値観を貫きたいと思うなら、もうそれは哲学の問題だ。大方の理解が得られるとは限らない。

 自分の感触を信じて非効率、非社会的でも己の美学を通すのか、その逆でいわゆる効率的に生きるのか。現代社会はその選択を迫ってくる。

感触” への1件のフィードバック

  1. ピンバック: awareness

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