戦時中の生活を知ると現代がいかに幸福であるのかを痛感する。現代の生活も決して安易ではないが、それでも過去の困窮に比べると殆ど無風と思えるほど恵まれている。絶対値はないが、現代が過去に比べて幸福であることは間違いがない。
ならば現代人は幸せの毎日を生きているのかといえば、そのようなことはなく、むしろ未曾有の不幸のどん底にあると答える人もいるだろう。実感のない幸福という概念は、しばしば権力者によって本質が隠される。何が幸せなのか分からなくさせられる。
現代社会を組み立てている人たちが作り出した幸せという虚像を多くの人が無意識に追いかけてしまう。そして多数の人はそれが達成できずに潜在的な不幸感を持ってしまうのだろう。
幸福のあり方は人それぞれであらねばならないのに、それをいくつかの物差しを当てて数値化しようとする。これこそが現代の不幸そのものなのだろう。そしてそういう仕組みの上に立っている社会や経済の仕組みをどうすればいいのだろう。
個々人の幸せの尺度を自分で決められるようにすること、他者の物差しを認めることが必要だ。もちろん他者に迷惑をかけることは許されないが。
“虚像を追いかけて” への1件のフィードバック