人格の保存

 あくまで仮の話だ。人工知能の発達は日進月歩だが、もしある人物の性格とか信条や思考の癖を記録し、再現することができるシステムが出来上がったならば、どのようなことが起きるだろうか。

 さらに空想を重ねよう。外見上ほとんど本人と変わらない容姿を持ち、極めて自然な動きをする機械に先ほど述べたある人物の人格を記憶させた人工知能を搭載したとすれば何が起こるのだろう。

 この話の延長上にはある人物そっくりのもう一人の彼または彼女が出来上がるということだ。そんなことは藤子不二雄の漫画のパーマンに登場していた。コピーロボットでもう一人の自分を作り、活躍中の不在を埋める時間稼ぎをしていた。鼻のスイッチを押さない限り、他人からはそれがロボットだと気づかれることはない。

 この問題を考える上で欠かないのは、人格とは何かと言うことだろう。性格と思考や行動の様式、さらには身体的特徴が一致していれば同一人物と言えるのだろうか。これはクローン技術という文脈でも語ることができるが生命倫理に抵触しないと思われる人工知能とロボット工学の組み合わせで考えている。

 もちろん直感的にも経験的にも同一人物とは思えない。完全なコピーがなされたとしても別の人格のように思える。なぜなのだろうか。仮にマスターの動きを完全にシンクロナイズするコピーが行われたときは間違いなくコピーの方に人格を感じられない。モノマネ機械と判断する。ただ、どちらがマスターでコピーか判別できないときはどうだろう。

 次に、コピー側が自主的に行動する場合はどうか。自ら考え、意見を述べ行動する場合はもうコピーとは思えなくなる。マスターとコピーが会話をしたり、争ったりしたら完全に別人格と感じるだろう。外見がそっくりの双子の姉妹のどちらにも人格を感じるのと同じように。

 人為的にそっくりというより等しいものとして造られたコピーは、性能が高ければ人格を認めていいのだろうか。

 さらに屋上屋を架す。例えば尊敬してやまない先人の精神と肉体を完全にコピーして、我が家の一員として迎えた場合、彼もしくは彼女は家族の一人なのだろうか。それが認められたなら人格の保存はできるのだろうか。何か非常に根本的な部分で間違っているように感じる。それをまだ説明できない。

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