海外でプレーしたスポーツ選手が驚くのは、日本のように道具を大切にする国は少ないということだそうだ。日本では道具を大切に扱うことを幼い頃から教えられる。それは道具の値段が高かった時代の習慣が残ったのものともいうがそれだけではなかろう。どうも私たちは道具に特別の意味を見出そうとする伝統を持っているようだ。
すべてのものに霊性が宿るという多神教の考え方には、日本人の考え方の基底となるものがある。道具を大切な扱うのはその道具にも霊性を感じているからというのは言い過ぎだが、少なくとも自分の大切な道具は単なる物質ではない。そこに何かを感じるからこそ、愛着も湧き感謝の心も起きる。針供養をする文化は細部に亘って様々な価値観を創出している。
現代でも私たちはロボットに名前をつけ大切にする。そこに人間的要素を見つけようとする。道具に霊性を見出そうとする行動様式は現代も継続している。
最近、ファミレスなどで動き回っている配膳ロボットの中には猫のような言葉を使うものがある。自動運転式移動ワゴンに動物的な要素を付け加えたのだ。このロボットには一見無駄かと思われる機能がある。機械の一番上のあたりを撫でると喜んだり、怒ったりするというものだ。配膳作業には無関係だが、ロボットに親しみを感じさせる役割を果たしている。霊性を感じさせるための余計なしかし大切な機能だ。
私たちが道具を大切に扱うことをごく自然に行えるのはこうした民俗が影響している。大量生産大量消費を前提とした西洋文化に批判がなされ、持続可能性が強調されている今、この考え方は見直されてしかるべきだ。