グラビアの美人は子どもの頃からの憧れだ。美人が自分のためだけに微笑んでくれている。そんな思い込みを現実のものにしてくれるのがグラビアの役割だった。
ところがこの神聖な領域がAIに侵略されつつある。生成系プログラムが作り出す誰かに似ているけれども誰でもない美人がグラビアページを奪おうとしているのだ。機械がいろいろなネット上の画像を組み合わせて理想的なグラビアアイドルを生成すると、もう現実の人間は敵わない。
古典文学を学習するようになって美人は時代とともにその基準が変わることを知った。平安時代の絵巻に描かれている美人は下ぶくれの顔ばかりだ。おたふく風邪を美人病と呼んだこともあったという。恐らく栄養不足で痩せぎすばかりの時代においては、ふくよかさは美意識の基準の最上位にあったはずだ。これは日本だけの話ではない。西洋のヌード絵画を見る限り、ほとんどが肥満体だ。肥満すること自体が難しい時代においては希少な存在が美意識に繋がる。
現代では誰もが肥満体になれる。努力は不要だ。カロリー過剰の食事を繰り返しているうちに立派な下腹を獲得できる。平安時代に生まれたなら確実に美男美女の資格が得られる。
だから、今の美人は極端にスリムな方に傾く。明らかに健康を害していそうな細さに美意識を見い出す。時代が異なれば憐れみしか感じられない姿を現代では美しいと感じる。メタ認知すればこれは極めて異常だ。
AIが作り出すグラビア美人はこの伝統的な美人像を根本的に覆す。太っていようと痩せていようとどちらでも構わない。そもそも美意識がないから過去のグラビア写真をデータベースとして多くのアクセスがあるページを無断で借用して合成する。その結果、絶世の美女が出来上がる。
グラビアを見て興奮する前にやらなくてはならないことがある。それは本当に美しいと言えるのか。もしかしたら合成ではないのか。合成はなぜおかしいのか。自分のなかまの誰よりも美しいのにどこか違和感を感じさせるのか。それらを考え直す必要がある。