声援

 声援に意味があるのかという素朴で根本的な問いを考えてみる。言わずもがなの結論であると先に述べておく。

 何かをするのは当事者であり、どんなに周囲が動いてもそれだけでは意味がない。手を貸したり、資金的援助をしたりと何らかの実質的な支援をするならば別だが、声をかけるだけの行為に効果はあるのだろうか。

 私たちはそれが有意義であることを経験的に知っている。それは私たちの行動が言葉によっているからだ。私たちはごく自律的な身体行動を除けば言葉によって行動している。どのような言葉で行動するかによって行動の程度が大きく変わるのだ。

 だから行動を加速する言葉は効率を上げ、抑制する言葉は過度な刺激から身を守るきっかけになる。だから、声援には意味がある。

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