送り火

 京都市で恒例の送り火の行事が今回は限定された形で虚構された。「大」の字に見えるように山腹の点火台に火をともす行事は京都の夏の風物詩だ。しかし今年は密を避けるという意味で6か所のみの点火となった。

 「大」という文字のそれぞれの画の始点と終点、それに交差点の6か所だけともされた大文字は人々に想像の炎を加えさせた。誰もが足りない部分に見えない光の線を足したのである。ある意味、非常に貴重なものであった。本来、送り火は盆に迎えた先祖の霊魂を再びあの世に送るための炎である。今日との五山送り火のような大規模なものでなければかつては日本各地の門前で同様の行事が行われたらしい。祖霊は神でもあると考えられた。

 ひと時の祖霊との交流によって、私たちの祖先は鎮魂をするとともに、祖霊には浮世の我々を守護してもらうことを願ったかもしれない。その精神は今も変わらない。非科学的かもしれないが日本人はどこかで祖先が守ってくれることを期待している。そしてここ最近の災禍を顧みるに祖霊の助けにすがらなくてはならない状況にあることは間違いない。こういう時は原始的な感情を隠さなくていいのかもしれない。

 テレビに映った京都の送り火を見て、なぜかこみ上げるものがあった。

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