見え方

 自分の視覚や聴覚を真実の姿と考えるのかについては太古から議論があります。人によって感覚に微妙な差があることが証明されるようになると、この議論は様々に展開されました。

 たとえ物理的身体的な条件が同じでも対象をどのように捉えるのかは均一にはなりません。個人の経験に加えて文化的なバイアスも加わるために感覚は無垢ではありえないのです。

 そもそも私たちは過去の経験と照らし合わせて現実を認識しており、その時点で皆が同じものを見ることはほぼ不可能であるといえます。ことばの力によって、実は多様な現実をいくつかにまとめあげパン、小異を捨てて共通項を見る習慣を獲得したために混乱は起きません。

 ただ、見えているものが違っているという事実は忘れてはならないことであると常に思い返しているのです。

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